韓国の大手新聞「朝鮮日報」に Warcraft III(WC3)で活躍する Go)Space こと Seung Hyun Park 選手の記事が掲載されたそうです。
Go)Space は WC3 の盛んな韓国でも上位の Undead 使いで、プロクラン NoA にも所属していました。ゲームを良く知っており、玄人好みの華のある上手いプレイをします。私もお気に入りのプレイヤーの一人ですが、実は体が不自由なんだそうです。
インターネット版の記事(韓国語)を元に MYM が報じたものを、kumazon.com さんが和訳してくれていますので、許可を得て転載します(感謝!)。
Seung Hyun “Go)Space” Park は、以前に有名な Team NoA でプレイしていたこともあり、国際的な Warcraft3 のコミュニティーでは目新しい名前ではない。しかしながら、コミュニティの大勢の人は、彼が稀に見る慢性的な筋肉の障害と診断され、11 歳の若さで体が不自由になった player であるということを知らないだろう。
更に驚くべきことに Chosun.com の記事によれば、彼は病気のために、20 歳を超えて生きることができないだろうということである。
Daegu との率直なインタビューの中で、Space は彼の生活は他のほとんどのゲーマーのものと違いはないと言った。
「ほとんどのプロゲーマーは1時間の食事の時間を除いて、毎日 10 時間練習するんだ。僕は大体午後 2 時から 3 時くらいにおきて、朝の 3 時から 4 時くらいに寝るよ。」と彼は言う。
だが体が不自由なために、Space は簡単な作業でさえ一人でこなせないと感じている。
「僕ができることはなにもないんだ。一人じゃ読書もできないし、外へも行けない。だけど少なくとも指を動かすことはできる。だからゲームをすることはできるんだ。でも僕の健康は時間が経つにつれて、だんだん悪くなってきている。だからゲームがいつまでできるか分からない。」と彼は嘆く。
4 年生のときに学校を辞めてから、Space の唯一の楽しみはコンピューターであった。昔は彼の母親は飲食店でフルタイムで働いていた。しかし政府の財政援助で、今では母親も息子と貴重な時間を過ごすために、彼と一緒に家にいられるようになった。
彼の母親は言う。「他の母親は子供がコンピューターゲームに夢中になるのが心配だと言っています。だけど私が心配なのは、息子の指が麻痺してゲームができなくなってしまうことです。Seung Hyun(Space)はおそらく 20 歳以
上は生きられないだろうと医者は既に言っています。」
二年前に彼が動かすことができたのは首と指だけであった。AfreecaWarcraftLeague(AWL)のキャスターである Jung Jin Ho は、ユニットを Ctrl+key でバインドすることすらできないのに、
Space はとても忍耐強いプレイヤーであるとして、彼の意志の強さを褒め称えている。
昨シーズンの AfreecaWarcraftLeague(AWL)では、Space は BeT.WinNer,SK.Lyn,SK.SoJu といったプレイヤーを破り、人々に畏敬の念を与えた。
Space は彼の病気に対する治療法がないことを理解している。だから彼の唯一の望みは偉大な Warcraft3player になることなのだ。
「僕の夢は健康でいることでも、またプロプレイヤーであろうとすることでもない。僕は家族を誇りにするために僕が唯一できることである WC3 で、すばらしい player になりたいんだ。」
彼は言う。「僕に対する治療法がないのは分かっているし、奇跡も信じていない。僕はただベストを尽くしてこのゲームをプレイし、誰にも負けないプレイヤーに、そしてお母さんにとって強い息子になりたいんだ。」
※タイトルは Yossy がつけたものです。ちょっと煽りすぎでしょうか…。
全然問題ないと思いますよ。違和感はなかったです。
こういう形でゲームに接している人もいるんですね。
朝鮮日報のほうで読み直しましたが、和訳にない部分がもっと読んでてつらくなりました。政府の補助金といっても月5万円程度で、たった4坪の古いアパートにお母さんと19歳のお兄さんと3人暮らししているそうです。
http://www.tagstory.com/video/video_post.aspx?media_id=V000141976&feed=NV
動画を見つけたので、リンクしておきます。
ゲームのユニバーサルな側面ですね。
フィジカルなスポーツの世界ではハンディーキャップドが参加しているものにパラリンピックがありますけど、
ゲームを使ったスポーツの世界ではほんとに分け隔てなく競技ができそうですね。
(もっとも、パラリンピックは当初、リハビリ的な色が強かったわけですが。)
この特徴がのちのち福祉分野で生きてくるんじゃないかと思います。