DMM GAMES主催のPC版『PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS』日本公式リーグ『PUBG JAPAN SERIES』が、2020年12月19日、20日『PJS Winter Invitational 2020』を最後に終了となりました。
自分は20年近く日本のeスポーツシーンを見ていますが、『PUBG JAPAN SERIES』ほど愛され、尊敬され、そして最期を看取られた大会というものを知りません。
大会はいつのまにか終わっていたというようなケースが多く、終了が告知されファン達が最後まで応援してお別れを告げる、というのは少ないケースです。愛され続け最後を迎えた『PUBG JAPAN SERIES』というのは、本当に素晴らしい大会でした。
『PUBG JAPAN SERIES』に関わる人たちが、非常に情熱的でシーンを愛している事は非常に有名です。そんな、さまざまな人に愛され、視聴者数も右肩上がりの『PUBG JAPAN SERIES』であっても、親会社の判断で終わってしまうという事実に自分は衝撃を受けました。
実際に視聴数という数字を作り、ファンにもさまざまな行動を起こさせてしまうような大会でも、PUBG本社からするとそれは違うと判断されてしまう。
2021年は競技シーンの間口を広げ、量と質をアップグレードするというのが公式見解として発表されており、これはこれでわかりますが、『PUBG JAPAN SERIES』ではダメだったのか。これを進めたら、一体どうなるのかを確認してみたい気持ちがあります。
冒頭にも掲載したこの画像は、東京都内で行なわれた『PJS Winter Invitational 2020』配信の終了後に撮影した、スタッフの集合記念写真です。
立ちあげ時はたった2人だったという『PUBG JAPAN SERIES』は、2年10ヶ月の運営を経てこれだけ多くのスタッフが関わる大会となりました。
配信には載っていない会場での関係者に向けた挨拶で「PUBG JAPAN SERIESは最低5年はやろうと決めてスタートした」という話がありました。残念ながら3年で終わってしまった本大会ですが、立ち上げメンバーの1人でPJSを作り上げてきたのが山下さんという人物です。プレーヤーとしての名前はわかる人にはわかると思いますが、仕事とプライベートでは線引きをしているような感じがしたので、ここではあえて記載しません。自分はC4 LANなどのプライベートで会えばプレーヤーネームで、PJSの会場では「山下さん」と呼んでいました。
そんな彼はCounter-StrikeシリーズとFnaticの狂信者であり、それらを通じた自分が想うeスポーツ像というものを持っています。自分が想うeスポーツへの強いこだわりを持ちながら、会社や方々からの意見を反映して『PUBG JAPAN SERIES』というものを作り上げていくのは大変なことだったのではないかと思います。
全てが実現出来たわけではないと思いますが、彼が想うeスポーツ像の譲れない部分を貫いたことが、あれだけすばらしい『PUBG JAPAN SERIES』というものに繋がったのではないでしょうか。
『PJS Winter Invitational 2020』が全て終了し、冒頭の記念撮影を行なう際に同僚たちから「山下、早く真ん中に来い!」と声を掛けられているのをみて、彼がこの3年間ですばらしい仕事をしてきたんだなということがわかり、ゲーミング親戚のおじさん的な気持ちとしてとても感動しました。
山下さんの夢の一つは、eスポーツのステージで火柱をぶち上げることらしいので、それを実現させる日をいつか取材させてもらえるよう、自分も頑張ってサイトを続けていきたい思います。
GG!