雑誌『Wired Magazine』のイギリス版にプロゲームチーム FnaticMSI が登場しています(Part 3)。
『Wired Magazine』では、6 ページに渡り FnaticMSI が特集されています。
特集では、FnaticMSI のリーダー Patrik “cArn” Sattermon 選手、チームオーナーの Sam Matthews 氏を中心とする Intel Extreme Masters を舞台とした物語を読むことが出来ます。
Fnatic のサイトにて画像が公開されていたので読んでみたところ、非常に面白かったので、あまり忠実では無いところもありますがとりあえず話がわかれば良いだろうということで和訳してみました。
かなり長いので 4 分割して掲載していきます。
数日後、ハノーバーの CeBIT エキシビションセンターは何千ものブランドで埋め尽くされた。Matthews はマイクを握りステージに立っている。CeBIT は毎年開催されるデジタルと IT のトレードショーで、Intel Extreme Masters もここで行なわれる。2011 年には 339,000 人が参加した。
Matthewsは黒いコートを着てサーカスの団長を演じている。通りすがる人達に Sattermon(cArn)、Orwall(dsn)と Counter-Strike をプレーするよう説得しようとしている。
プロを倒す事が出来た参加者には Fnatic ブランドのヘッドセットが贈られる。14 歳の挑戦者はもう少しで Orwall(dsn)をナイフで倒すところであった。
Sam Matthews はサウサンプトン大学 1 年生の 2003 年に、Fnatic 立ち上げるため自分の車を売却した。彼の母、Anne もまた起業家で CFO として参加することになった。
「私たちは、eスポーツは大規模な物になるだろうと考えた。」と 26 歳は言う。
「人々は eスポーツにポテンシャルを見ていたが、それは間違った方向へと向かっていった。彼らは eスポーツを本当のメインストリームにしようとしたので、eスポーツの要素は全て取り除かれ不自然なものとなった。」
90 年代前半から、eスポーツは Dennis “Thresh” Fong や Johnathan “Fatal1ty” Wandel が大金を獲得したというような、大げさな報道のサイクルを経験している。
Fong(Thresh)は参加したメジャートーナメントで勝ちを逃したことが無く、1995 年から 1999 年の間に、賞金とスポンサー料を合わせて年に $100,000 を得たと見積もられている。
しかし、巨額の宣伝費用と賞金を伴いローンチされた Cyberathlete Professional League や Championship Gaming Series は現在もはや存在していない。Electronic Sports World Cup や少し小さな数々のトーナメントもまた同様だ。
Matthews は LAN パーティや陰気な地下室が eスポーツの基礎となっている事に気づき、それらの周りで持続可能なビジネスを構築出来るのか疑念を抱いた。「私たちはそれをニューエイジのためのスポーツであると考えた」
Matthews によると、Fnatic の歳入は、500,000 ユーロ(約 5,877 万円、1 ユーロ =117.54 円)だという。80 パーセントがスポンサー料からきている。Counter-Strike プレーヤー達はゲームをして生活する余裕がある。しかし、チームメンバーは他のタイトルをプレーすることは出来ない。Fnatic の QUAKE LIVE プレーヤーとして IEM に参加した Kevin Baeza(strenx)は、マヨネーズ工場で働いている。
より大きな会社は注意を払っている。アディダスやフォルクスワーゲンは過去に IEM をスポンサードしたことがある。今年のスポンサーは Deutsche Post だ。伝統的な放送局もまた同様だ。昨年の夏は、スウェーデンの公営放送局 STV が eスポーツショーを公認した。最初のエピソードで Fnatic が特集された。そして、今年の 2 月には Eurosport が 6 つのプログラムのうちの1つで IEM を中心とした。
Ralf “Griff” Reichert はプロゲーマーとして活動し、大学で経済学を専攻した後、彼が 27 歳の 2000 年に ESL を設立した。「私たちは QUAKE をプレーしていたので、これがスポーツになることを知っていた」と彼は言う。
現在の ESL は、130 人のフルタイム社員、2,000 人近いフリーランスを雇用し、ドイツ、フランス、イタリア、中国にオフィスを構えている。今年は 5500 万ドルの収入を見込み、利益を上げる予定だ。「私たちは煽り立てたり、会社を売却したりしたいのではない。ミッションはただ有益な会社になるだけではなく、eスポーツを巨大にすることだ」
成長の多くは、一つのセクターからやってくる。「オンラインビデオは我々にとって非常に重要だ。どんなスポーツでもあなたをビッグにするのはビデオだ。ビデオは数千人が見ている物を、何十万人がライブで見るものに高めるのだ」と Reichert は言う。
オンライン(ビデオ?)は、アメリカのマーケットもまた手助けしている。 ESL と同種であるアメリカの Major League Gaming は 2010 年に 2000 万ドルの歳入を得た。2011 年にも利益をもたらすことが望まれている。オンライン観客の 95% が 30 歳未満の男性で、伝統的なアメリカのスポーツ放送局よりも人口統計的に 3 ~ 6 倍大きなものとなっている。
コンソールゲームとPC タイトル(特に StarCraftII) は発展している。
「StarCraftII は今年大規模になるだろう」と言う Matthews は、Fnatic のメンバーに StarCraftII プレーヤーを加えていた。
そして、Matthews は Fnatic の周りに新たなビジネスとしてゲーマー向けのソーシャルネットワーク UGAME を構築している。彼の他の会社である Web デザインエージェンシー EVISUA は Fnatic のサイトや eコマースサイトを手がけている。
現在、Counter-Strike は Matthews の興味の中心となっている。彼は Fnatic ブランドやチームを監督するためにハノーバーにいる。Fnatic と SK Gaming 間の悪い血は、ファンの興味に火を付けた。無数のインターネットフォーラムは Matthews の Fnatic 再建に否定的であった。Sattermon(cArn)と Orwall(dsn)は Matthews を証明するために SK Gaming との遺恨試合でリベンジを望んだ。
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