雑誌『Wired Magazine』のイギリス版にプロゲームチーム FnaticMSI が登場しています(Part 2)。
『Wired Magazine』では、6 ページに渡り FnaticMSI が特集されています。
特集では、FnaticMSI のリーダー Patrik “cArn” Sattermon 選手、チームオーナーの Sam Matthews 氏を中心とする Intel Extreme Masters を舞台とした物語を読むことが出来ます。
Fnatic のサイトにて画像が公開されていたので読んでみたところ、非常に面白かったので、あまり忠実では無いところもありますがとりあえず話がわかれば良いだろうということで和訳してみました。
かなり長いので 4 分割して掲載していきます。
Sattermon(cArn)はコンピューターゲームをプレーして生計を立てることが出来るとは思っていなかった。IEM がスタートする 1 週間前、トーナメントのためにイェーテボリのブートキャンプで 1 日 8 時間(契約において明記されている時間)のトレーニングを行なった
彼はスマートなグレーのシャツを身につけ血の気のない青い目をしていた。チームメイトは彼がコーヒーを飲みながら話し始めた午前 11 時でもまだベッドの中にいた。
「常にチームゲームを楽しんでいる。長い間サッカーをプレーしていたんだ」とフラットなスカンジナビアンイングリッシュで彼は言う。
Sattermon(cArn)は 15 歳の時にサッカーを諦め、スウェーデンの中央に位置する 60,000 人が住む町カールスタード郊外の自宅から友人達と共に競技的に Counter-Strike をプレーし始めた。
2003 年、彼は来る者は拒まない Counter-Strike チーム xPerience.se に加入し、チームメイトで親友の Harley “dsn” Orwall と出会った。彼らは IRC ネットワークを通じて Counter-Strike をプレーした。
2 人はインターネットカフェで開催されるトーナメントで競技を始めた。2003 年 12 月、彼は Cyber X Games に招聘された。Sattermon(cArn)は金曜日にギリシアでプレーするために Counter-Strike チームをどのようにまとめるのだろうか? 彼は両親に、その日は学校に行くのではなく、アテネにコンピューターゲームをしに行くのだと告げた。彼は 5,000 ユーロとチャンピオンシップに参加するためのラスベガス行きのチケットと共に帰宅した。
にもかかわらず、彼は 2005 年に eスポーツから逃げ出した。「未来を確信することが出来ず、大学に通おうと思っていた。普通のライフスタイルを得るべきだと考えたんだ」
しかし、2006 年の冬、Orwall(dsn)が連絡を取り戻ってきた。彼は Fnatic と契約し、共に新たな Counter-Strike チームをまとめていた。「これは最後のショットにしなければならないと感じていた」と Sattermon(cArn)は言った。
Orwall(dsn)と Sattermon(cArn)は大成功するチームを作り上げた。彼らは全ての世代において最も才能のあるプレーヤーと評価される Patrik “f0rest” Lindberg と契約。そして高く評価される若きスター GeT_RiGhT を獲得した。彼らは現在までに、トーナメントで $470,655 を獲得し、最も賞金を得ることに成功している。
2010 年、落ちぶれた姿で進むチームに関わっている f0rest と GeT_RiGhT は、チームのオーナーの元へ行き、cArn と dsn を Fnatic から追放するよう求めた。「彼らは、cArn と dsn は年を取りすぎていると主張した。cArn と dsn は 25 歳、f0rest と GeT_RiGhT は 21 歳だ」
Matthews は反対派を追い出し、ベテランたちを中心に Fnatic を再構築する事に決めた。「Sattermon(cArn)を追い出さなければならないのであれば、私は彼を追い出すだろう。それは重要なことではない。これはビジネス。彼はチームの重要なリーダーだ。」
現在、f0rest と GeT_RiGhT は Fnatic のライバル SK Gaming に所属している。両チームは IEM で同じ”死のグループ”に振り分けられた。Sattermon(cArn)にとって、これは元チームメイトと対戦する初めての機会となった。
CARREAR GAMERS
それでf0restさんはSKgamingいったんですね
続きが気になってドキドキしてます
翻訳ありがとうございます!
おかげでfnaticの詳細やcArnについてのことがわかりました。
残りのpart3,4も期待してます。
21歳と25歳
4年の歳月に得るものと失うものどっちが大きいんだろうか
2006年と2009年でfnaticの黄金時代を築いた偉大なプレーヤー
どのジャンルでもそうだけど、引退時期を誤って晩節を汚さないで欲しいですね
引退時期を誤って・・・とか何様やねん