ゲーミングデバイスメーカー『Razer』の公式サイトにて、Razre の歴史についてまとめたページ公開されています。
こちらがかなり興味深い内容となっていましたので、ざっくりと和訳してみました。
Razer はハイエンドゲーミングハードウェアにおける世界のリーディングブランド。
1998 年に Min-Liang Tan と Robert”Razerguy” Krakoff によって設立され、現在は世界中に 7 つのオフィスを構えている。
本社はカリフォルニアのカールズバッド。
Razer の受賞デザイナー、一流の科学者、世界クラスのエンジニアチームは、世界中のゲームプレーヤーに競争力を提供する、最先端技術を組み込んだ製品を設計するためにトッププロゲーマーと協力している。
Min-Liang Tan、シンガポールに生誕。幼少期を過ごす。
Min-Liang Tan、グローバルなゲーミングトーナメントでセミプロゲーマーとして活躍。
Min-Liang と Robert “Razerguy” Krakofft が出会い、『Razer』がカリフォルニア州サンフランシスコに設立される。
Razerguy がゼネラルマネージャーに就任。
Min-Liang Tan がカリフォルニアに移住し Razer のプレジデントゲーマー兼リードデザイナーに就任。
高性能なゲーミングハードウェア産業の起源となる製品、ゲーミングマウス『Razer Boomslang』をローンチ。
Razer の研究ラボラトリーからの特許技術を組み込んだゲーミングマウス『Razer Boomslang』は、従来のマウスの 5 倍に匹敵する精度をゲーマーに提供した。
『Razer Boomslang』は世界中で旋風を巻き起こし、高性能ゲーミング専門の産業を作り出した。
Razer が Jonathan “Fatal1ty” Wandel 選手の最初のスポンサーとなる。
Fatal1ty 選手は『Razer Boomslang』を使用し幾多のトーナメントで優勝、歴史上最も有名なプロゲーマーとなった。
『Razer Boomslang』をスポンサードされたその他の eスポーツ著名人には、Sujoy Roy 氏(ESReality 創設者)がいる。
世界的な eスポーツの誕生は、それまでに前例がない総額 $10,000 という賞金総額を伴う『Razer CyberAthlete Professional League(CPL)』であるとされている。
ドットコムバブルの崩壊と台湾の地震における生産設備と倉庫の崩壊により、会社の運命は風前の灯火となった。
会社の問題に満ちた財政に関わらず、Razer は次世代のユーザーインターフェース技術に対する研究と開発に極端な投資を継続し、ユーザーインターフェース技術に特化した研究センターを持つ世界で唯一の会社となった。
Razer によって総額 $5,000 の賞金をスポンサードされた世界初の Counter-Strike トーナメントが開催された事をコミュニティは忘れなかった。
e-Sports が始まった数年における初期の Counter-Strike は、初のチームベース eスポーツゲームであることが確認されている。
『Razer Boomslang』は初期の 1,400dpi から 2,000dpi のセンサーにアップデートされ、Boomer Control と Boomer Speed 機能を伴い再始動された。
Razer の光学マウス進出第一弾となる世界初のオプティカルゲーミングマウス『Razer Viper 1000 Gaming Optical mouse』がローンチされた。
同じくして、ゲーミングマウスパッド『Razer eXactMat』がローンチされた。
Razer 初となるこのゲーミングマウスパッドは、ゲーミンググレードのオプティカルセンサーに特化するよう調整された。
Razer の財政問題は続いていたが、シンガポールに研究・開発センターが設立された。
これは、カリフォルニア以外に作られた初のオフィスである。
Min-Liang と Razer チームがデザインしたゲーミングマウス『Razer Diamondback』が『World Cyber Games』にてローンチされ、世界一の売り上げを誇るゲーミングハードウェアとなる。
会社と創設者は Razer の社運を復活させるべく奔走した。
この時、プロのマネージャー達は全員会社を去り、Min-Liang と Razerguy が会社を運営していく事となった
これまでで初めて、ゲーマーは自身の運命を管理する事となった。
Razerguy は社長兼インハウスゲーマーに、Min-Liang はクリエイティブディレクターに就任する。
創設者は共に会社の過去の栄光を再構築する事に努める事となる。
復活した不死鳥の初となる製品はゲーミングマウス『Razer Diamondback』である。
2004 年後期に Min-Liang によってデザインされ、『Razer Boomslang』の真の後継者となる『Razer Diamondback』は、空前のトップセラー製品になった。
『Razer Diamondback』の成功に続き、限定版の『Razer Diamondback Plasma Edition』がリリースされた。
初期ロットは 38 分で完売となり、世界中で入荷待ちとなった。
2005 年後半に、世界初となる 2,000dpi のセンサーを搭載したレーザーゲーミングマウス『Razer Copperhead』がローンチされた。
『Razer Diamondback』の目も眩む成功の後に、『Razer Copperhead』はゲーミングにおけるあらゆる賞賛をさらった。
最新製品の成功に続き、『For Gamers. By Gamers.』の哲学が会社の運命に対して極めて重要なものであることを確信した。
Min-Liang は Razer の CEO 兼クリエイティブディレクターに任命された。
3 月
Razer の優れたデザインはいくつものレッドドットアワードを受賞した。
CES 2006 において、ゲーミングキーボード『Razer Tarantula』が Best of CES 2006 のファイナリストの 1 つとなった
今日の業界標準となっているマクロ機能、アンチゴースティング機能を伴う『Razer Tarantula』は、ゲーミング業界のスタンダードとなる。
8 月
マイクロソフトは、Razer とマイクロソフトの歴史において初となる、Razer のハードウェア技術提供によるマイクロソフトのゲーミングハードウェア設計に合意した。
Razer の研究開発チームは、マイクロソフトと共にゲーミングマウス『Microsoft Habu』をローンチする。
マイクロソフト初のゲーミングマウスは、 Razer ラボからの最先端技術を採用した製品である。
Razer は、世界初となる 5.1ch オーディオシステムを伴うゲーミングヘッドセット『Razer Barracuda Gaming Headset』をローンチした。
9 月
Razer は野心的なプロゲーマーのための、初となる 100 万ドルのスポンサーシップ発表と共にコミュニティに復帰した。
12 月
Razer は Razer ラボを設立し、数年に渡る人間工学の研究の後に、初となるエルゴノミックゲーミングマウス『Razer DeathAdder』をローンチする。
『Razer DeathAdder』は急速に成功し、世界で最も売り上げた実績を持つゲーミングデバイス『Razer Diamondback』と『Razer Coppoehead』に続く製品となった。
1 月
Razer はプロゲーマーと身近に協力して Razer 製品の確認・テストにフォーカスするべく、プロフェッショナルゲーミングのメッカ、韓国・ソウルに初のオフィスを設立した。
Razer は今も尚、韓国のプロゲーマーとの専用テスト施設を持つ世界唯一の会社である。
Razer とマイクロソフトはパートナーシップを拡張し、『Microsoft Reclusa Gaming Keyboard』を発表した。キーボードは好評を博し、2007 年の Best of CES ファイナリストに選出された。
8 月
多くのマーケティングバズワードやプロゲーマーと共同開発したという主張を伴う模倣製品が市場に出回り始める一方、Razer の科学者とエンジニアは世界で最も正確な 4,000dpi を伴うレーザーセンサーマウス『Razer Lachesis』をローンチすることで決定的に競争に勝利した。
当時のマーケットに『Razer Lachesis』の正確さに迫るマウスは皆無であり、今も尚、最も人気のある両手用ゲーミングマウスとなっている。
12月
Razer の専売特許である精度技術のライセンシングによるマイクロソフトの成功に伴い、他社も同様のゲーミングテクノロジーのライセンスに対して Razer にアプローチするようになった。
Razer のテクノロジーによる『Belkin n52 Tournament Edition Speedpad』がシアトルで開催された『World Cyber Games Grand Final』にてローンチされた。
そして、先進的なプロフェッショナルゲーマー Brian “DKT” Flanders 選手 によってトーナメントで使用された、 Razer のテクノロジーによるゲーミングキーボード『Everglide DKTBoard』が間もなくローンチされた。
多くの会社が近年における Razer の成功を模倣しようと努力する一方、早くからの研究開発への投資は、Razer のテクノロジーが他の潜在的な模倣者たちよりも次世代のものであることを証明するという利益をもたらした。
2007 年のクリスマスは、ゲーミングキーボード『Razer Lycosa Gaming Keyboard』とゲーミングヘッドセット『Razer Piranha Gaming Headset』という 2 つの独創的な製品のローンチと共に早々にやって来た。
両製品はゲーミングトーナメントでプロフェッショナルゲーマーに広く使用され、多くのゲームで世界的なデファクトとなった。
Razer のカルトなイメージは世界中に広がり、ヨーロッパの何千ものゲーマーが Razer の進出を要望した。これに伴い、Razer はストリップクラブやその他のいかがわしい場所として知られるドイツ・ハンブルグのレーパーバーンからそれほど遠くないところにオフィスを拡大した。
2月
Razer にとってゲーミングオーディオはここ数年の研究における重要な領域であった。
Razer の科学者は、高級オーディオマニアに使用される初めての下方放出設計のスピーカー、ClassHD アンプといった 100 万ドルの価値を持つシステムのために、オーディオ技術のパイオニアである THX 社 と密接に働き、結果、『Razer Mako』は世界中で大成功を収めた。
4月
Razer の eスポーツに対する継続的なスポンサーシップは、メインストリームにおいて認知され成果を上げた。
Team Razer のプロゲーマー Xiao Feng “Sky” Li 選手と Jaeho “Moon” Jang 選手が、 2008 年の北京オリンピック開催に先立ち、中国で行われる聖火リレーのランナーに選出された。トップアスリートのみに授けられるこの名誉が、Razer の eスポーツアスリートに与えられた。
Razer は『Facebook』にページを開設し、7 日未満で 1 万人を越えるハードコアな Razer ファンを集め、コミュニティと共に影響力の確立を継続している。
5月
Razer は、世界中の多くのプロゲーマーが使用する Razer によってチューンされたゲーミングマウスパッド『Razer Goliathus Gaming Mat』をローンチする。
それは再び世界トップセラーのゲーミングマウスパッドとなった。
8月
Razer は軍隊に対する技術提供者と密接に働き、比較可能なビジュアルサラウンドシステムよりも 800% 高速なプロセスを持つオンボード・ミリタリーグレード・サラウンドサウンド・ポジショナルオーディオを伴うゲーミングヘッドセット『Razer Megalodon』をローンチすることで、ゲーミングオーディオ領域における支配を強固にした
1月
2000 年に行われた E3 での初の発表から 10 年が近づこうとしている後に、Razer は世界初のワイヤレスゲーミングマウス『Razer Mamba』をローンチした。
『Razer Mamba』は大量生産の前に 80 のモデルと 3 つのバージョンがあると噂されており、『競技者の次世代のワイヤレスゲーミング技術を特徴としている。
2009 年末に、Razer は Min-Liang Tan によってデザインされたマウスの中で最も美しい 1 つと考えられる革新的なワイヤレス Blutooth と有線ゲーミング接続を伴う『Razer Orochi Mobile Gaming Mouse』をローンチした。
8月
Razer は急速に世界最高の売り上げを誇るゲーミングマウスとなる『Razer Naga MMO gaming mouse』のローンチを発表。
カジュアル、ハードコア、John “Swifty” Pyle 氏のようなウルトラハードコアな World of Warcraft ゲーマーに使用され、『Razer Naga』はプロ・アマによって世界中の MMO にて使用される事となった。
独立した研究・開発チームを伴う世界唯一のゲーミングハードウェアブランドとなった Razer は、シンガポールにおける高度な技術研究開発ラボに、次世代のゲーミング UI 技術を伴う独立した 2,000 万ドルの投資を行った。
これにより、Razer の研究開発センターが、カリフォルニアとシンガポールに誕生した
1月
Razer は CES 2010 にて、初となる Xbox360 のライセンスされたプロフェッショナルギア、 ゲーミングコントローラー『Razer Onza professional gaming controller』を発表した。
同じくして、ゲーミングへッドセット『Razer Chimaera Xbox360 headset』も発表され、PC ゲーミングの巨人はコンソールゲーミングへの最初の進出をマーキングした。
展示会では、Razer の Sixense モーションコントロールデバイスも発表され、再び Best of CES 2010 のファイナリストとなった。
超精密レベルの正確さを特徴とする『Razer Sixense』は、PC のための 3D コントロールの次の革命であると喧伝されている。
2月
プロフェッショナルゲーミングコミュニティに対する Razer のサポートは、韓国チーム WeMade Fox が Team Razer に加わるという発表と共に継続されている。
March
4 月に、中国のためのマーケティングオフィスが上海に設立され、Razer の中国市場への関与が強化される。
6月
Razer と Blizzard はソフトウェアでゲームから直接集積されるユニークな APM ライトニングシステムを特徴とする公式の StarCraft II 周辺機器を発表し、アラートやカスタムカラー設定が可能なハードウェアを伴う、完全にはまるようなゲーミング体験をゲーマーに提供する。
7月
Razer は、スタートアップやシャットダウン時にユニークな Raz、De-Rez エフェクトを含む、来たる映画 TRON:Legacy からのすばらしいフィルム美学を連想させる特殊な青い発光を伴うゲーミングキーボードやマウスを含む、TRON Gaming 周辺機器の共同開発における Disney との提携を発表した。
8月
Razer は、Razer Precision 3.5G laser sensor、カスタマイズ可能な複数カラーの LED ライトニングシステムを伴う、世界のオリジナル両手用ゲーミングマウス『Razer Lachesis』のアップデートを行なった。
そして間もなく、GamesCon2010 にてゲーマーが業界におけるその他のメカニカルキーボードよりも高速なタイプやクリックが可能となる、ユニークな触覚のメカニカルキーアーキテクチャーと強化されたキーを特徴としたプログラマブルなゲーミングキーボード『Razer BlackWidow』、『Razer Black Widow Ultimate Mechanical gaming keyboard』を発表した。
これらを読むとRazer は、世界初となるゲーミングデバイスを常に提供している業界のリーダーであることがわかります。
また、これまでは Razer USA の社長である Robert”Razerguy” Krakoff 氏がブランドの顔として表に出ていましたが、 Razer グループの CEO である Min-Liang Tan 氏も積極的に前に出て製品をアピールするようにプロモーション手法が変化しています。
Razer は、9月16~19日に千葉県の幕張メッセで開催される『東京ゲームショウ2010』に出展予定です。
また、応募することで Razer のノベルティグッズ『Razer L33t Pack』が無料でプレゼントされる『Razer Lovers キャンペーン』が実施中となっています。
どちらもお見逃しなく。
11年も前から有ったのか。
当時ゲーミングマウスという言葉自体衝撃で
思わず私も初代ブームスラングを購入した口です。
丸い缶にマウスパッドとドライバが同梱で 梱包形態すら衝撃でした。
斬新な形状 手のひらの下に位置するボール 縦横比別個に
設定できるマウスセンス サイドボタンなど当時は夢のような機能でした。
製造会社はKarna(aはウムラウト)というところなのかそういうステッカーが
貼ってあります。今のモデルもそうなのか分かりませんが。
当時自力でQuakeConに参戦した某氏も購入してインプレをされてましたが
正直使いやすいかと言えば疑問でした。
手が小さい方向けではないと思います。
現在はサイドボタンの樹脂部分がイカれてしまったため修理のため分解したままとなっています。
もっとも経年変化で樹脂全体が劣化して触りたくない状態ですが…。
物欲が・・・^o^
RazerのLogoに対して深い印象:)