Counter-Strike競技シーンの殿堂入選手を決定する『HLTV Hall of Fame by 1xBet』のノミネート12名が発表されました。
『HLTV Hall of Fame』は、Counter-Strike競技シーンにおける卓越性や貢献を称え、歴史的意義を知らしめるために実施されます。
対象は完全に引退した選手のみとなり、現役プレイヤーやコーチとして活動している場合は、候補として選出されません。
選出条件
最終的な受賞者は、キャスター・ジャーナリスト・業界人などで構成される10名の委員会メンバーによる審査・投票によって決定されます。
※以下のテキストは、HLTV.orgサイトでの紹介を翻訳したものです
2000年代を代表するAWPerであるcoguの存在が無ければ、ブラジルCounter-Strikeはいまと全く異なるものとなっていたでしょう。MIBRで2つのCPLタイトルとESWC王座の獲得に貢献し、Gabriel “FalleN” Toledo選手を含む新世代たちにインスピレーションを与える存在となりました。
ヨーロッパにおけるCounter-Strike1.6で最も有望な選手の1人でり、MOUZを世界的なチームトしとて知らしめることに貢献しました。IEM5 Global Challengeに出場するため上海に向かう飛行機に乗り遅れ、フランクフルト空港から自宅に戻る途中、交通事故で悲劇的な死を迎えました。
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光速の反応とアグレッシブなプレースタイルで知られるkennySの「Magic Stick」は、ゲーマー達を熱狂させるフラグムービーにおける定番でした。ゲームを支配するkennySのスナイパーライフルは、ValveにAWPをナーフさせるほどで、長期間において競技シーンのトップに君臨しました。
アジアのCounter-Strikeシーンには、solo以前、solo以後の違いがあります。2005年に開催されたWEG Season 3でproject_krを準優勝に導き、韓国チームの存在を世界に知らしめました。そのスキルは世界最高レベルで、soloの献身と才能はWeMade FOXが成し遂げた2010年におけるWEMの優勝で報われることになりました。
HeatoNはCounter-Strikeにおける最初の世界的なスーパースターであり、スプレー射撃のスキルを芸術の域にまで高め、Ninjas in PyjamasとSK Gamingの一員としてCounter-Strikeの人気を新たなレベルまで引き上げることに貢献しました。2001年のCPL Winterにおける4Kings戦でみせたエコラウンドのACEシーンは、いまでもシーンに語り継がれる最も象徴的なプレーの1つです。
Pottiの名前はHeatoNほど知られていないかもしれませんが、PottiはスウェーデンCounter-Strikeを世界的な存在とするために、チームメイトのHeatoNと同じくらい重要な役割を果たしました。2000年代前半における最高選手の1人であり、2006年に引退するまでに強力なラウンドクローザーであり続けました。
f0restはCounter-Strike 1.6とCS:GOでキャリアを重ね20年近くに渡って一目置かれる存在であり続けました。最大の功績は、歴史的なNinjas in Pyjamasの一員としてCS:GO初期における87連勝の記録を達成したことです。
Ninjas in Pyjamasの87連勝伝説を成し遂げたもう1人のメンバーであり、年間最優秀プレイヤーを2度獲得しています。ラーカーの役割を新たな形に昇華させ、現代Counter-Strikeにおけるプレースタイルに永遠の足跡を残しました。
2015年におけるFnaticの圧倒的な躍進の原動力となり、HLTVによる最優秀選手に選出されました。ESL One Cologne 2014の準決勝では、Molotovの火炎につつまれながらC4の解除に成功し、Overpassにグラフィティを残しその名を永遠のものとした最初の選手でもあります。
2010年にNatus Vincereの一員として一時代を築き、スーパースターの地位を手にしました。markeloffは超アグレッシブなスタイルでAWPの役割に革命をもたらしました。いまでもCounter-Strikeシリーズにおける歴代最高のスナイパーの1人と評価されています。2010年に世界最優秀選手に選ばれ、その翌年にも3位に輝きました。
ド派手なAWPとすばやい反射神経により、アメリカ初となる真のスターとなったKsharpは、シーンの初期にX3とTeam 3Dがトップに君臨する上で重要な役割を果たしました。World Cyber Gamesにおいて2連続金メダル、さらに銀メダルも手にし、CPLでは2つのタイトルを獲得しました。
fRoDはKsharpの後を継ぎ、アメリカを代表するAWPerとなりました。ESWC2005における圧倒的なパフォーマンスでComplexityを勝利に導き、世界最高のCounter-Strikeプレイヤーの1人としての地位を確立しました。CGSの後も、トップレベルの競技者として活躍し続けました。